こんなことを言うと頭の固いおじさんに思われるかもしれないのですが、
ゴミの捨て方やごはんの食べ終わり方で、その家その人の素養が問われると思っています。
我が家ではそのあたりについては異常にシビアに向かい合っているかもしれません。
捨てるものだからどうでもいいでしょ、とか
ごはんの食べ終わり方になんの意味があるの?とか言おうものなら私は半分激怒に近い勢いで諭し始めます(笑)
激怒は冗談ですが、そこそこ本気で語るので子ども達や奥さんにはさぞ面倒くさいと思われていることと思います。
でも、言わずにはいられない大切なことだと思っているのも確かなんです。
“有難さ”を知ること
食べ物にしても、道具にしても、我が手元へとやってきてくれた有り難いことでありモノです。
使い終わればゴミになるし、口に入れられないものは皿に残る。
これは仕方のないことですが、そこに「感謝」は込められる。
何事も感謝の気持ちをしっかりと心に持ちなさいという意味で家族には話しています。
飽食と言われるこの時代、食べてしまえばそれで終わり、飽きれば放りっぱなし、そんな光景をよく目にします。
なかなかこの“有り難み”を子どもに理解しなさいというのはむずかしいことかもしれませんが、親として伝えなければいけないことのひとつとしてこんこんと伝え続けます。
品性ある行動を心掛ける
ゴミにするならきちんとまとめて、乱雑にならないようにまとめること。
食べ終わったなら米粒を残さず、食器はまとめて手を合わせてごちそうさま、と感謝を述べる。
今は理解できなくても必ずなにかを感じる時があると思う。
そんな日のために「ゴミの捨て方、ごはんの食べ終わり方」を教え続ける毎日だったりします。